魔法の色を知っているか?
「望んで?」
「自らの意思で、冷凍されたのですか?」
「意思?何の意味が?」
「意思の……意味ですか?」
「問うことに価値はあります。意思とは、問うだけのもの」
「私は、何をすれば良いでしょうか?」
「ご自身が、それを決めるのです」
「しかし......。私をここへ導いた。その理由は?」
「理由?その価値は?」
「理由がなければ......、いや、わからない。撤回します」
「誰も、きっとわからない」
「わかりません」
「ここを知っている者は少ない。皆、忘れてしまいました」
「どうしたら良いでしょうか?」
彼女は黙っていた。
僕も黙っていた。
今は考えられない。
「人間は、どこで間違えたのでしょうか?」(p259-300)
再読につき,記事にするつもりはなかったが引用した会話があまりにも刺さったので筆を執るに至った.
こんなツイートをした直後だったからだ.
人の意思(超ゆるふわ概念)が好きだこれが冨樫先生のおっしゃる「文系」なのだと思うつくづくこういう自分じゃなかなか言葉にできないものを言葉にできる人はすごいありがたい
午後5:20 · 2022年3月25日·Twitter for iPhone
ここで言う富樫先生の「文系」というのは地球儀のスライスの解説を参照されたい.
自分以外の人間になってみたい,他人がどんなことを考えてその道を歩いたのかを知りたい.こういうどこまでも非合理な欲求が私を付き纏う.
それを真賀田四季と思しき何かはそんなものに何の意味が?と一蹴する.
でも先生,意味が無いから高級なんです.
「お母様、海は月より人間に必要なものに思います」
「それは人間との関係が強いということ」
「人間も他の多くのものと関係しているのですね」
「そうです。一人一人の人間の存在がその周辺に影響を与えます。でも人は、周りの人やもののために存在しているのではありません。つい、誰かのためになりたい、皆の役に立ちたい、それを自分の存在の理由にしたいと考えがちなのです。存在の理由を分からないままにしておけないのね。常に答えを欲しがる。それが人間という動物の習性です」
「欲しがってはいけないのですか?」
「いいえ、欲しがることは間違いではありません。しかし、完全なる答えなど無いのです。でもそれを問い続けることは、とても大事なことです」
「近づくことはできるのですね」
「そう考えれば良いと思います。でも私にもまだわかりません」
「お母様にも、わからないことがあるのですか?」
「もちろんです。わからないことがあるから人は優しくなれるのです」
「どうしてですか?」
「すべてがわかってしまったら、何も試すことができません。何も試さなければ新しいことは何も起こらない。人は、わからないことの答えを知りたいと思って追い求める。そこに優しさや懐かしさ、そして、喜び楽しみが産まれるのです」
「私は、お母様にいつも聞いています。こうして答えを求めることで、私は優しくなれますか?」
「そうね。私がいない時もいつも問いなさい。誰も答えてくれない時も問い続けなさい。自分で自分に問うのです。それを忘れてはいけません。それがあなたの優しさになるでしょう」
「分かりました、お母様」
ミチル、こちら基志雄よ。ご挨拶なさい。
あら、叔父様もいらしていたのね。
そう、ミチルよ。大きくなったでしょう?
(アニメ「すべてがFになる」最終話より引用)
この一連の会話はアニメオリジナル?それともどれか森作品からの引用?
前者だった場合,いや,そうでなくてもこの会話でアニメの幕を閉じようという脚本が素晴らしい.
余談だがアニメ「すべてがFになる」の脚本は「こじらせ女子」や「久保みねヒャダこじらせナイト」の生みの親である故雨宮まみ氏である.
心よりご冥福をお祈りいたします.
追記
調べたところによると最終話の脚本担当は雨宮氏では無かったようで,大変失礼いたしました.
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